貞広 邦彦さん
秋篠宮さまが結婚されたとき、僕は「週刊朝日」の編集長だった。匂い立つようなお二人の写真は、表紙やグラビアに使わせていただいた。そのお礼を直接お伝えすることができたのは、それから10年ほどたった「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」(朝日新聞主催)の席だった。
妃殿下は手話の名手なのだが、貞広邦彦さんはこのコンテストの審査委員長で、紀子さまの手話の先生でもあった。そういうご縁から、妃殿下はほとんど毎年、コンテストに来られ、手話によるスピーチをなさっていた。
紀子さまの手話を始めて拝見したとき、あまりの優雅さに、「お茶のお手前のようですね」と申し上げると、貞広さんが、
「人それぞれに話し方が違うように、手話も人なりなんです。高校生は“早口”ですが、妃殿下はやはり典雅ですね」
と教えてくれた。
貞広さんは、
「手話の『広辞苑』になるような手話の辞典を作ること」が夢で、病床でも準備を進めていた。しかし、惜しいことに03年6月、74歳で鬼籍に入った。
紀子さまはお忍びで弔問にみえ、手話の師の遺影に手を合わせた。そのとき紀子さまの肩が細かく震えていたことを、貞広夫人の加津子さんは、昨日のことのようにはっきり覚えている。
加津子さんに電話すると、
「紀子さまのおめでたは、主人に真っ先に報告しました。きっと喜んでいると思います」
ということだった。
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